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めくるめく私の日々。

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ワークシフトを読んで考えた、お金と仕事の話。

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私はおかねがコンプレックスにある。

おかねがコンプレックスってなんぞやって、感じだよね。
私は、物心ついたときからお金への執着が強かった。
ものを買うときの最優先事項は金額だし、割り勘もきっちりするし、前払いしたお金とかも回収しきらないと嫌だ。だから大学の最後の方は6個バイトを掛け持ちし、月20万円稼いでいたときもあった。

そうやって稼いで節約したお金をどうするかというと、旅に使って、残りは貯金する。金額が増えていく通帳を見るのがしあわせ。
自分のお金で旅にでているときが、しあわせ。
お金に余裕があると気持ちにも余裕ができる。そういうときに誰かのために快くお金を払うのがしあわせ。
人に清々しい気持ちでお金を払うときが好き。

何かもらったことがある人に、お金を通して買うという行為で感謝を、伝える。
本当はもらう前に与えるってことが常にできるようになりたいのだけど。まだ私にはできない。”まだ”ってことはいつかできるのかなあなんても思う。 

正直そんな自分が好きじゃない。けちけちしてる。
可能であればもっとお金がほしいし、あったら今気兼ねなくモノを買えて、将来の安心感にもなる。

 

そんなことを考えていたら、最近読んでる、かの有名な、WORK SHIFTという本でぴたっとはまる文を見つけた。

前段はさくっと省きますが、要するに、世界でグローバル化やITの発展が進んでおり、そして寿命が延びていくなかで私たちはたくさんの選択肢を持てるようになり、それは今までの価値基準で選んでいては、しあわせでなくなるということ。

これを”漫然”と理解しているだけでは、変化の波にのまれてしまう。この本では具体的な未来の働き方を示し、”漫然”と時代の流れにのるだけではいまの仕事や人とのつながりから生まれるしあわせは失われてしまうと、警鐘を鳴らしている。

私の心に響いたのは最後の章。

私が働くのは、給料を受け取るため。その給料を使って、私はものを消費する。そうすることで、私は幸せを感じる。

まさしく私がそう。これが今までと今のお金と仕事の価値観。

お金に重きを置く発想は、満足感や幸福感を高めるとは限らず、むしろ不愉快な結果をもたらす場合がある。お金やモノに対する欲求はそのほかの経験に対する欲求以上に飽くことがない。
(略)
私たちは新しいものを手に入れても、すぐに喜びを忘れてしまい、もっとほしいと思い始める。

それなのに、どうして、お金を重視する世の中になってしまったのか、という疑問に対する答えとしては、”社会の風潮”であると。まさしく戦争が終わったあと、高度成長期の日本はその通り。なんの根拠もないけれど、私がおかねにこだわってしまっているのはこの名残なんだろうな。

では、今後お金ではなければ何を基準に仕事を選び、生きていけばよいのか。

私が働くのは、充実した経験をするため。それが私の幸せの土台だ。
重要なのは、自分が将来どういう働き方をしたいか、そして子や孫の世代にどういう制度を残したいかという点に関して、自分で主体的な選択を行い、選択の結果に責任をもたなくてはならない。

(略)

自分にとって本当に大切なものはなにか―――
それを常に見極める必要がある。

とはいえ、社会の”普通”な考えに抗う(抗うまではいかないかもしれなけれど)ときには痛みもあるし、不安もあるし、まだ抗うエネルギーを発揮するまで”どうして抗う必要があるのか”ということに関して腑に落ちていない。

不安の感情に対する考え方を変える必要がある。自分が直面しているジレンマを否定するのではなく、強靭な精神をはぐくんで、ジレンマが生み出す不安の感情を受け入れなくてはならない。自分の選択に不安を感じるのは、健全なことだ。深く内省し、自分の感情にフタをしない人にとって、それはごく自然な心理状態なのだ。
(略)
そのジレンマのなかにじこそ、あなたが光り輝くチャンスが隠れている。
「普通」でありたいと思うのではなく、ほかの人と違う一人の個人として自分の生き方に責任を持ち、自分を確立していく覚悟が必要だ。

 生き方をシフトしていかないことのデメリットよりもシフトしていくメリットを考える。この本をただただ読んでいたら、変化に恐れを抱く気もするけれど(特に前半は)、一方、変化に伴い、一般的なしあわせより個人のしあわせを考え選択していく世の中になればもっと自分らしく楽しく生きる人が増えるような気もする。

どういうキャリアと専門分野が未来に押しつぶされにくいかを推測できる。しかし、それがあくまでも推測の域を出ないことは忘れるべきではない。

未来が予測通りになる保証がないことを考えれば、自分が好きなこと、そして、情熱をいだける職業に選ぶのが賢明だ。

このあたりで私の話に戻す。
私は常に未来に身構えている。”将来くいっぱくれない仕事とはなにか””不景気になっても必要とされていく仕事は何か”と、考えている。

もう、いい加減気づこう、こういう問いは一切役に立たない。未来を起点にするのではなくて、今目の前にある選択肢とちゃんと向き合う。

私はこれからもこの未来の変化に恐れずワクワクして生きていきたいし、そうやって仕事や生き方を選んでいく人を増やしたい。

まさしくそれが社外で活動しているワークルであり、(詳しくはまた今度)

私の本業でもイベントという形で仕事の社会的価値を考えてもらうきっかけを作って言いる。
そんなときに前に言われて心にささったことばをふと思い出した。
「イベントに投資するお金を報酬として分配すればよいのに」
ワークシフトのお金と仕事の関係性に照らし合わせるのであれば、社員のモチベーションや帰属意識を高めるために投資するということは、まさしくSHIFTの具体例なのかも。

お金や将来のキャリアに関してのもやもやがなくなったわけではないけれど、肩の荷がふっとおりた感じ。もっと目の前のもの、大切にしたい。

あなたは、これからどんな仕事をしていきますか?
生き方を選びますか?

そして、今好きな仕事や生き方ができていますか?わくわくしていますか?

私も私自身に常にこの問いを投げかけながら生きていきたい、そう思いました。