母と内定先をめぐり戦って考えていたこと。
母との冷戦の始まり
最近。
再び親との戦いが始まりました。
機嫌よさそうだな~って思って夏休みに島キャン行くの!って話をしたら
それはもちろん就活の話になりますよね。
それでしっかりここまでいたる経緯を話したら、こそこそしてないでちゃんとみんなに話しなよ~みたいなノリで終わった。
次の日の朝。私がリビングにいくと攻撃が始まりました。
キターと思ったので部屋へ逃亡。母ついてくる。
母:あんたそんなに奉仕精神ないでしょ?働いている人を元気にしたいなんて思ってるの?酔っ払い臭いとかいってるのに?
私:どの会社だって社会には貢献することになるんだから同じじゃん。
母:家で手伝いもしないくせに?お金もらえればやるの?妹(実名伏せるため妹は妹になっています)ならわかるけど。
私:(は???妹まったく家で手伝いしてなくて全部私に押し付けてくるのになにいってんの?)
母:そうやって育てたのは私だから仕方ないけれど。そういうのは周り見て合わせなよ。
私:(は???お小遣いもらうっていう“みんな”の文化はとりいれずにそういう母に都合のいいところだけとりいれる意味。てか、最初に金はだすけど口は出さないっていったくせに金はだしてくれず口は出しまくるとかほんとなに)
母:早稲田までいってそんなしょぼい会社はいるの?
私:会社にしょぼいもなにもないでしょう
母:一生そんな小さい会社で働くつもりなの?
私:今は転職が当たり前でしょ
母:30年後はわからないじゃない
私:わからないんだから今入りたい会社に入った方がいいじゃん
母:どうせ大企業に入るためにがつがつ就活してる子を高見にみたいんでしょ。プライド高いんだから。自尊心傷つけられたくないんでしょう。
私:(もう否定する力が残っていない)
・・・・・・
というやりとりをしまして。
なぜか母と口げんかをしているときは母の意見がすべて正論に聞こえてくるので反論ができない。だから勝てない。
幼少期に植え付けられた価値観
私は小さいころから母の価値観の中で育てられてきました。
洋服とかも母が良いと思ったものを買えば外れないと思っていたし、友だちも親がよくないと思っている子からは距離を置いたりしていました。(極端にではありませんが)
最初のバイトでツタヤを選んだのも、留学でニュージーランドを選んだのも母に仕向けられたものです。
それで結局今それがベストな選択だったと思うと、やはり母はスゴイなと思うことになるわけです。
でも、落ち着いて今までの選択を振り返ってみると母のおかげで今満足しているわけではないことに気づきました。
私は後悔する人生を送りたくないという気持ちが強いので、無理やりにでも後付をして “その選択をしてよかった”って思うようにしているじゃん、と。
だからどの選択をしてもベストだった、と思っていたんだと思います。
自分では気づいていなかったけれど、
どこかでその母の価値観から抜け出したい、と思っていたんだなと最近気づきました。
母は好き嫌いをはっきり言うから、私がした選択にはどちらかというと否定的な意見を言うんですよね。
だからだんだん自分の選択を否定されたくないって思い始めたのが大学生になったころ。
大学であったこと、今していること、友だちについて多くを語らなくなりました。
だから、気付いたら価値観に大きな違いが生まれていたわけです。
そして、その結果がこの就活の問題にいたるっていう。
自分の今を肯定=母の価値観を肯定=就活に関しては母のいうことに従わない=自分を否定することになる
っていう図式が勝手にできあがって、最初に親に今の内定先に就職することに大反対されたときは心がぼこぼこでした。
この話をしたら私の知り合いの方は
もう生きてきた人生が違うし、自分の人生だし、
今までありがとう、じゃっ
ってくらいの気持ちでいいんじゃない、と言われました。
ああ、本当にまさにその通り。
親の価値観が根付いてしまうのは仕方ないこと。
あと、最近読んだこの本にも自分の価値観は本当に親から影響受けているってことが書かれていました。
読書メモがてら心に残った部分を抜き出してみます。
うまくいかないのは自分で書いた脚本のせい
自らの行動を制限することで、親の愛を必死で得ようとする、生存本能から親の「禁止命令」に従おうとして、そこから
それぞれは自分の構えがうまれる。
そして
自分の価値観(構え)を証明するために行動を起こしていく
人は、より効率的に生きるために、無駄な思考をしないように「思い込む」
自分という存在も含めて、この世は思い込みだらけであり、思い込みがこの世界を作りあげている
人の立場に立ち、相手の気持ちを考えるのは難しいのに、人のネガティブな気持ちはわかった気になってしまう。
根本的な解決法として
「ポジティブなストローク」で構えを修正する。
ということがあげられていました。
ストロークというのは態度、言葉、などのこと。
まずは他人に「ポジティブなストローク」を与え、そして求めてみること
自分自身に「ポジティブなストローク」を与えることも効果的だそう。
「この世は嫌なことだらけ」ととらえても「この世はいいことだらけ」ととらえてもどちらもその人にとって真実なのだ。
感情をコントロールするのではなく、思い込みを捨てる
悩みは1秒で捨てられる。そもそも悩みというのは「悩んではいけない」という思いこみにとらわれているだけだ。
最後に、
「これからどうしたいか」という「目的」に視線を移したとき、過去という思いこみが脱却できるのだ
途中から気づいてたけど、どっか読んだことあるぞ、と。
そう、最後の文章はアドラー心理学の考えです。
と、なんかだいぶ話外れましたが、
もともと私は親からの影響で価値観が形成されるのはいけないことだ、と思っていました。
けど、それって当たり前なんでね。よく考えればまあそれはそうだ、ってなりますけれど。
これからは自分の価値観で生きていきたい、から、私はそうしようと思いました。
ほんと私自己啓発本読み漁っているなあと思うのですが、カチカチに固まっている私には四方八方から啓発されないとよくならないようです。
あれもこれも思い込みだからなんでもなにしてもおっけー!というわけではなく、
選択するときにまず自分がどうありたいかを一番に考える必要があるということだと思いました。